自分との一体感
南信州は雨の春分を迎えました
その影響もあるかもしれないけど
朝起きたら頭が痛い
身体もだるい
そして春分の日 今日
新しいギフトが届きました
「自分との一体感」
自分と感覚がはりついている感覚
ってややこしいかな
今まではまだ頭(思考)での理解が
先走り気味だったんだなあ
って今わかる 笑
昨日の記事で「一体感」って書いたのは
「全体の中の自分」という意味だったんだけど
思いがけず
「自分の中での意識と身体と感情の一体感」がきた
上にあるものは下にもある
フラクタル
「頭の痛い自分」がいたとして
まずはジャッジせずそのまま受け入れる練習をしてきた
4年くらい前かな
そのもっと前は
ジャッジの世界にいた時代が長くて
これじゃダメだとかこれはいいとか
それから
出来事は大きな流れの中の必然
という目線で俯瞰して受け容れる練習を
当時の口ぐせは
「すべてはうまくいっている」
今ではわたしの信念になっています
そして今日
今
頭の痛い自分そのものでいる
その感覚の中にいてただ味わっている
そしてなぜだかものすごい至福に
すっぽりと包まれている
頭痛いのに 笑
自分との
一体感
感謝もない
喜びもない
自分を愛し認めるもない
何ひとつ能動的なものではなく
何も湧き上がってこない
ただ至福の中にいて
至福そのものでいるの
雨が降って肌寒いことも
頭が痛いことも
朝ごはんのおつゆの温かい汁が
喉から食道を通って胃へ流れていくのも
自分が今味わっていることを
味わえていることが
全部至福になっちゃった
これは魂感覚なのかな
地上に受肉して体験したくて味わいたくて
生まれてきた魂の感覚なのかもね
頭はぽわーんとしてるから 笑
「一体感」って
昨日書こうとしていたのは
「自分という輪郭をクリアに明確にしていくこと
そして仲間と同じ方向を見てともに力をあわせた時に
『全体の一体感』が生まれる」
ってことで
テレビでね
「吹奏楽にはまった人」っていうのをやっていて
そこでみんな「一体感」って連呼していたの
ひとりひとりは
フルートとかクラリネットとかシンバルとか
ひとつの楽器があるじゃない
自分のパートを極めながら
みんなで音を合わせていく体験は
とても心地のよい「一体感」なんだって
目を瞑っていても
誰が音を奏でているか分かるようになるって
ああこれは
春分からのテーマだなって感じた
吹奏楽の楽器の「音」を
わたしたちひとりひとりがもつ「固有の振動数」とか
「波動」と置き換えれば
まるで同じことで
わたしたちは地球吹奏楽団なんであって
それは人と人だけじゃなくて
タヌキも鷹もミジンコも木も花も石ころも
プラスチックもコンクリートも
みんなそれぞれが固有の振動数をもち
それを響かせ合っていて
その「全体の音」=「地球の音」を
調和した美しい調べにするのも
不調和で破壊するのも
わたしたちひとりひとりは
選択の自由を与えられていて
いつかは誰もが調和に向かうのだけど
今生ではまだ不調和を選ぶ人がいても
それは止められないし止めることでもない
それそれが自分はどうしたいかを選びとっていく
わたしは調和した世界を創りたいって思っていて
同じ想いの仲間と響かせ合いたいって思っている
・・・
そんなことを思ったから
目醒めるって瞑想的になることで
クリアにはっきり見るって
柔らかくなること
この何でもない日常に
いちいち至福を感じてる 笑
何かを追い求めようって氣が失せる 笑
追い求めはしないけど
生み出すことはしたい
どんどんしたい
この「自分との一体感」を
わたしから引き出した布石の出来事に
心当たりがあってね
それをシェアしたい
あと
異次元が現実に流れ込んでくる話もね
春分の今日 シェアしたい
これから引っ越しのお手伝いだから
夜までには
春分と秋分を「お彼岸」といって
ご先祖さまのお墓まいりする習慣がある
先人の叡智にうたれるし
この日本を選び生まれてこられたことが
有り難く幸せです
とりとめもないままに
またね
今日は愛ある春分の日を♡
ほづみん
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